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東西の思想交流

東西の思想交流

コスモポリタン、インターナショナル、トランスボーダー、という言葉が叫ばれて久しい。本来の国際協調は、個別文化が歴史とともに育んできた知的資源が、相互に影響共鳴し合ってこそ起こるのではないか?ただ内実はどうか?政治・経済、あるいは軍事的な力が優越した国家、文化圏が他の文化に優越し圧倒しているのが現実ではないだろうか?たとえコンピュータ、IT、AIが国境を越境して世界をつなげているように見えても、文化が平板化し個別の思考様式が消滅するようでは国際化もお寒い限りである。
インド文化、アラブ文化、アフリカ文化等々固有の知的資源はまだ十分には解明・活用されているようには見えない。むしろ消滅の危機に瀕しているようなマイナー文化も多数ある。数値の優劣にかかわらず人間の知的営為を自らの鑑として、未来を開くことが哲学をはじめ人文学の使命ではないか?目の前から複数の文化、伝承、思考法が消えてゆくのをみすみす見過ごしながら、国際化の成果を叫ぶのは心冷えることである。わたしは特殊あっての普遍と信じる。記憶なき人間は想像しがたいから。
朝鮮、越南、琉球、日本等、いわゆる東アジア文化圏は世界の一角を占め、千年オーダーで中国文化を一つの思考枠組、栄養源、触媒としてそれぞれ独自の発展を遂げてきた。自己の固有性を主張するためには知的記憶を反芻することが必要ではなかろうか?
漢字文化は知的反省に対して限りない資源をもっている。叢書としては、清の乾隆帝時代に国内外から収集可能な限りの書籍36000冊(10億文字)を網羅した叢書『四庫全書』が著され、哲学に関わっては、道教関係文書集成の『道蔵』5485巻が、また近年では有史以来の儒教に関わる中外の文献を収集する『儒蔵』編集が進行しつつある。これは人類の知的遺産といってよい。
東アジア文化圏が漢字をツール、仲立ちとして自己を語り、さらには他者たちとインターフェイス、インターラクティヴな相互交渉をなしたことは事実である。北京国子監における琉球(現沖縄)留学生とベトナム人との交流、菅原道真と渤海国人との交流、朝鮮人、姜沆の藤原惺窩、林羅山への影響、新井白石と朝鮮通信使との交流、蘐園学派、太宰春台校訂の『古文孝経孔氏伝』が中国に逆輸入されたこと等々、これこそ真実の国際交流の先例であったといえる。
哲学思想面における中国文化の各地への影響については多言を要さないことかも知れない。それはギリシア・ラテン文化・キリスト教の欧州諸国への影響、サンスクリット語文献の周辺諸国への影響、イスラームの拡大に比べても遜色はないといえる。中国哲学・思想への配慮無しには世界哲学は論ずることなど不可能である。どう少なく見積もっても哲学思想の普遍性を口にすることは公平性を欠いていよう。
もちろん国境、文化圏を越えると突如生気を失い凋むようなトレンド文化もあろう。それさえ人類の経験知だから記録の必要はある。まして有史以来存続してきた知的資源に関してはいっそう尊重・配慮し分析・研究または継承してゆかなければならないだろう。
中国哲学に関しては一定以上の文化的影響を世界諸国に及ぼして来たし及ぼしつつある。先の例は、東アジアへの影響に限っていたが、実は欧米世界へも情報が流入し、様々な哲学者、知識人によって肯定・否定、受容・反発両様の反応をもたらしてきた事実がある。
ヨーロッパ宗教改革の時代、カトリックの劣勢を挽回しようとしたイエズス会宣教師たちが大航海時代の潮流に乗って、インド、マラッカ、日本等アジアに布教の場を見いだそうとした。彼等は現地の地理・経済・資源はもちろん文化・宗教・思想等々についても調査研究し、莫大な情報をヨーロッパにもたらした。その代表的人物、マテオ・リッチは中国語会話はもちろん、キリスト教徒親和的と見做した儒教古典、「四書五経」等、古典漢籍を「暗記」し、その知識を縦横に駆使したキリスト教義書『天主実義』(漢文)を著している。これは多くの中国人官僚、清の乾隆帝、李氏朝鮮、徳川日本知識人(鎖国時代のはずの林羅山、新井白石、平田篤胤等)などによって注目され、ある者は基督教義を高く評価した。
それとは逆に、儒教・道教・仏教の初歩的知識のみならず四書五経等儒家の典籍の抄訳・全訳も相次いで試みられる。リッチの同僚ミケーレ・ルッジェリは最初期の四書全訳を敢行した(筆記に止まったが)。つぎにマルティノ・マルティニ神父『中国史』(1658)は聖書に基づく歴史学を崩壊させ近代歴史学へ改変させる中国悠久の歴代史情報を紹介し、同時にアジアの普遍記号、漢字図説、「四書」文中の天地宇宙、人類、万物を通貫する調和・秩序・法則、易経の陰陽二原理binarium、全体内の付置によって数値が定まるソロバンの珠monadeの情報、そして儒仏道三教の基本情報まで言及されていた。この情報は後に博物学者シュピツェル『中国学芸論』(1660)にまとめられ、これを20歳代のライプニッツが目を通していた(ちなみにライプニッツの最晩年の著作は『中国自然神学論』であり、彼の中国への憧憬がうかがえる)。その後マルティニによってルイ十四世に推薦されたフィリップ・クプレ等宣教師が『中国の哲学者孔子』(1687)を著したが、そこには中国哲学・歴史情報のみならず、刊行された最初期の「四書」訳文が含まれる(『孟子』は除く)。これはルイ十四世の支援による出版のため、ヨーロッパ各地に広く伝播し、『大学』――理性による自己・他者、社会、世界の完成を説く――は後にオランダで、仏訳・英訳され、アメリカ独立戦争の精神的指導者フランクリンが、有益とみて学術誌『フィラデルフィア・ガゼット』に転載している。イエズス会士フランソワ・ノエルは『中華帝国の六古典』(1711)「四書」(『孟子』を含む)全訳の他、明清代初等教育の教科書『孝経』『小学』の全訳を付している。そこには人間本性の善を説く「性善」説、民衆を君主に優越させる民本思想、暴君の放伐を主張する「革命」説が、はばかること無く紹介されていた。「四書」訳は明の大政治家、張居正の注釈を参考するが、その淵源は世界の整合的秩序と人間の知的・道徳的完成を説く、朱子学ないしは宋明理学の注釈を踏まえていた――これは本学の大学院テキストにも用いられる。ヨーロッパ人自身中国における有史以来の学問的方法論を意識し諸解釈を参照していたわけである。ちなみにライプニッツは上述の「四書」訳4種類を見ていたことになり、ヨーロッパきっての中国哲学通――真のコスモポリタンの先蹤――であったといえる。ライプニッツの後継者に当たり、カント、ヘーゲルにまで至るドイツ哲学の学術用語策定・基礎付けをなした啓蒙主義者クリスチャン・ヴォルフは、ノエル書・クプレ書を参考に――章節・頁数まで付して――、ハレ大学学長退任時に『中国の実践哲学に関する講演』を行い、中国儒教をヨーロッパの理想となると述べている。
それ以降それらの書籍をつぎのようなヨーロッパ知識人が目にしていた:文学者ヘルダー、啓蒙の歴史研究家ニコラ・フレレ、百科全書派のヴォルテール、ディドロ等、ドイツ観念論ヘーゲル、ロマノフ王朝を批判した劇作家デニス・イヴァーノヴィチ・フォンヴィージン等々。
フランス革命勃発の前年1788年には張居正『帝鑑図説』のエルマンによる銅版画版(解説付)が出版されるが、そこには、人民を虐げ、奢侈や酒食に耽り他国に戦争を仕掛ける暴君(桀紂・始皇帝)等の国家崩壊・没落・天誅について関説されている――パリではベストセラーであったという。
さらにフランス革命後の、ソルボンヌ大学においては、宣教師等の翻訳ならびに、中国歴代の注釈、さらには支配政権清王朝の母語満州語によるオーソライズされた注釈まで参照し立体的・三次元的に中国哲学の実相を翻訳解説する試みも勃興する。いわゆるシノロジーである。その初期においては宋明理学の彫琢を経たあとの、「神無き」世界ないし万物の原理「天命(天理)」「性」、天人相関・天人合一や性善説、革命説等々が紹介されていた。
中国哲学はこうして、解釈伝統の根拠・蓄積ある哲学史を背景とする哲学として受容されていったのである。
20世紀以降は、より自由に世界哲学の一要素として自由に中国哲学を受容しようとする運動も盛んとなってきている。アジアの側での西洋哲学概念による解説と欧米学者による非欧米的思考様式へのアクセス・評価がリンクしつつある。
近年評価が高いのは、前代とは異なり老子、荘子をはじめとする道教の世界観・価値観である。とくに『老子』の実体性否定の無為・自然観やそれに基づく恣意的人間中心的な文明批判に対する評価は高く、著名な読者にはトルストイ(留学生小西増太郎とのロシア語共訳がある)、ハイデガー(中国人蕭師毅とのドイツ語抄訳)がある。ドイツのサイト(https://web.archive.org/web/20100413143426/http://home.pages.at/onkellotus/TTK/_IndexTTK.html)で引っかかったものだけでも英訳112種、独仏他の諸国語も94種類も掲載されている――実際はその数倍は存在するであろう。
哲学・思想は必当然的に国境を越えるはずだし、現に目の前で超えられつつあり、真に国際的なコラボレーションが開始されようとしている。

 

2021年11月30日 井川義次 記